第4話「三岐バスの歩み」
第3話までは主に三岐線略史の前半部分を紹介してきたが、第4話ではバス事業の歴史を創業期から紹介したい。
もともと後に三岐線が敷設されることになる地域の一部では、三重自動車㈱が1923(大正12)年から乗合バス営業を行っていたが、同社のバス路線が当時計画中の三岐線に近接していたことから、当社創立翌年の1929(昭和4)年9月に、当社役員が同社の経営権を譲り受けて、別会社として営業を行うこととなったのが、三岐バスの始まりである。1932(昭和7)年1月には、別の地元資本が運営していた阿下喜ー石槫南間の乗合バス営業権も買収し、そして1933(昭和8)年には三重自動車㈱自体を清算して、正式に三岐鉄道㈱の乗合バス部門として営業免許を継承し、富田町~竹永村9.7km、八郷村~梅戸井村4.2km、阿下喜町~石槫村6.2kmの3路線を1938(昭和13)年1月まで運行した。
(町村名は、いずれも当時の名称)
戦時中に廃止した乗合バス事業を再開したのは1954(昭和29)年のことで、同年9月に藤原線・石槫線計44.7kmの免許を取得し、事業再開にあたり購入した4両(新車2両、中古車2両)のボンネットバスを使用して、まず17.7kmの区間を同年11月より営業開始し、そして同年12月からは全線44.7kmで本格的に営業を開始した。
乗合バスの営業は順調に推移し、1955(昭和30)年7月からは宇賀渓へ路線延長するなど、運行本数や輸送人員も次第に伸びていった。1967(昭和42)年には70.9kmの路線を運行するまでになり、徐々に保有車両台数を増やしていった。
一方、乗合バス事業に遅れること2年、1956(昭和31)年12月に、三重県北部の二市三郡を事業区域として、観光バス事業を貸切バス3両で開始した。
これについても順調に発展を続け、1968(昭和43)年には営業部門を独立して「三岐観光サービス㈱」を設立するまでに成長した。