第6話「鉄道事業の再生」

 1970(昭和45)年前後から鉄道事業の近代化を続々と推し進めた三岐鉄道であったが、モータリゼーションの進展により、1973(昭和48)年度には432万人を記録した旅客輸送人員が1982(昭和57)年度を最後に400万人を下回るようになるなど、他の地方鉄道会社と同様に業績が伸び悩むようになり、雌伏の時代を迎えた。

 しかしながら、長期的な視野に立って鉄道事業の礎を築くため、三岐鉄道では1983(昭和58)年以降もレール重軌条化・駅前整備・冷房電車導入といった近代化設備投資を次々と実施した。一方で、1985(昭和60)年3月に国鉄富田駅への旅客列車乗り入れ廃止、同年5月に貨物列車ワンマン運転を開始、1988(昭和63)年1月には旅客列車ワンマン運転を開始するなどの省力化・合理化を実施し、鉄道事業の効率化に努めた。

 そうした経営努力が結実し、1980年代後半から1990(平成2)年にかけて、新駅開業や新規貨物輸送開始などの大きなプロジェクトが実現した。

 1986(昭和61)年には、員弁郡大安町(現・いなべ市)との共同事業により、大安町中央図書館(現・いなべ市大安図書館)を併設した大安駅を、大安吉日の3月25日に新築開業した。「大安」という縁起の良い名称で、当時では珍しく図書館を併設したユニークな駅であったため、大きな話題となった。

 1988(昭和63)年には、同年4月の四日市大学開校と歩調を合わせる形で、同年3月に暁学園前駅を新装開業した。同駅では、駅舎新築と並行して駅前広場整備も整備し、また同年11月には郵便局・学習塾・美容室などをテナントとする「あかつきプラザビル」をオープンした。

 さらに貨物輸送では、1990(平成2)年11月に、同一の貨車により往路と復路で異なる荷物を運ぶ国内初の異種積荷輸送「炭カル・フライアッシュ輸送」を開始した。これは太平洋セメント㈱藤原工場と中部電力㈱碧南火力発電所との間を専用貨車で往復する鉄道輸送の一部を三岐線が担っているもので、環境負荷がより少ない貨物輸送として現在も続いている。

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